芸能プロデューサー×海外文学”マウントを取られたくない巨匠たち”|ダメ業界人の戯れ言#4

更新:2022.11.6

ドラマや映画などの制作に長年携わってきた読書家プロデューサー・藤原 努による、本を語る連載。幅広い読書遍歴を樹形図のように辿って本を紹介しながら、自身の思うところを綴ります。 #4では『やりなおし世界文学』という1冊をきっかけに様々な海外文学を読み返した時のハナシ。文学界における「マウント」や「自意識」について気付いたこととは。「トホホ……」なオチまでぜひお楽しみください。

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マウントを取られたくない文学界の巨匠たち

 

「上巻読むのに4ヶ月。一気に3日で中下巻!」

新潮文庫版『カラマーゾフの兄弟』の帯にある金原ひとみの言葉ですが、こんなに短くてしかし空気が十分に伝わる書評というのも珍しいのではないかと個人的に思います。

ロシアの覚えにくい人名がたくさん出てきてなかなか覚えられないし、何度も挫折しそうになりながら何とか上巻を読み終え、でもその空気をつかんだら、残りの2巻はもう面白過ぎて一気!ということなのでしょうが、先に告白しておくと僕、藤原はドストエフスキーの作品に一冊も手をつけたことがありません。いつか読まなくては、と若い頃から思い続けているのですが、いざとなると腰が重くなってたどり着けないのです。金原さんの秀逸な言葉をもってしても、あんなにいろんな本を読んでいるであろう作家が上巻読むのに4ヶ月もかかるのだとしたら、僕なら一体どんなことになってしまうのか?

本好きを自称しながらその風上にも置けない所業だと自認しております。

日本文学に比べて海外文学の造詣が格段に浅い(こんな言い方が正しいのかどうかわかりませんが)僕にとって、読書界における大きな精神的壁が海外文学にあるのかもしれません

 

そんな僕ですが、この夏、たまたま書店で見かけた津村記久子の『やりなおし世界文学』という本を気になって購入しました。

著者
津村 記久子
出版日

この本の帯に、翻訳家の岸本佐知子さん(この人のエッセイがすごく好きなのです)が伝えている言葉が僕的には何とも魅力的でした。

写真:藤原

 

津村さんのこの本を読み始めて、岸本さんと同様、「あー引き芸の人なんだ。すごくホッとする」と思ったのです。僕には「私なんて」という姿勢で文章を書く人への共感性がとりわけ強いようです。自信満々と程遠い感覚で文章を書く人が、それでも、面白かったんです、と書いていると何となく信用できると言うか

 

それでまずレイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』(清水俊二訳)を読もうと思ったのですが、数年前に村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』を一応読んでおり、今回は今年出版されたばかりの田口俊樹訳『長い別れ』を読むことにしました。

これはこの田口さんという訳者が、朝日新聞のインタビューに答えて、村上春樹訳へのエンタメ文学からの意趣返しのような訳ですというようなことを言っていて何となくそれが気になったからです。

著者
["レイモンド・チャンドラー", "田口 俊樹"]
出版日

 

結果から言うと、僕の読解力ではその違いを表現することはできないことが分かりました。

ただ主人公のフィリップ・マーロウという探偵が、誰に対してもぶしつけな言葉を吐きがちな人で、どうしてこう人を怒らせるようなことをすぐ口にしてしまうのだろうと思い、「ああそうだこれがハードボイルドと呼ばれるやり取りなのかもしれない」と、はたと気づきました。これ、マーロウに言われた側もすごくきつい返し方をするので、今で言うマウントの取り合い、みたいなのがハードボイルドの真骨頂なのかもしれません

 

そんなわけで津村さんが紹介している中で、その文章に惹かれ、紹介されている本そのものを読んだのはこれも初読のカミユ『ペスト』

コロナ禍で現在また売れ直していると言う噂を聞いてはいましたが、物凄く真面目な人間小説でした。津村さんの書評の中で書かれている内容のほうが面白そうで、ここでもまた僕は読解力のなさを露呈してしまったようです。

著者
カミュ
出版日
1969-10-30

 

それでも何だか、海外文学を読みたい気分が継続した僕は、紀伊國屋新宿本店の海外文庫売り場にたたずむこと1時間、『やりなおし世界文学』には出てこない、ヘミングウェイ『移動祝祭日』を手に取りました。この人の作品は大人になってから『老人と海』を読んだだけで、でも最期は多くの飼い猫を遺して派手に猟銃自殺したという経歴だけを知っていて、その20代の時期を綴る自伝小説であるというのを知って興味を持ったのです。

著者
アーネスト ヘミングウェイ
出版日
2009-01-28

ヘミングウェイは、20代の頃、作家としてはまだ駆け出しで売れてもおらずパリで暮らしていました。そこでこの大都会に来ていた少し先輩の作家、スコット・フィッツジェラルドと知り合うのですが、フィッツジェラルドのほうはこの頃すでに『グレート・ギャッツビー』で人気になっていました。

ある時ヘミングウェイは、自分の作品をフィッツジェラルドが高く評価してくれていることを知り、一緒に飲んだ時に、フィッツジェラルドから2人だけの旅に誘われ、喜びを包み隠しながらも行くことにします。

しかしフィッツジェラルドは、もともとその酒癖の悪さと“悪妻”とも呼ばれたゼルダのせいもあってか、毀誉褒貶が激しく、約束した列車に乗り込んだヘミングウェイがどこを探しても見つけることができません。

そもそもプライドがとにかく高いヘミングウェイは、約束の日時を間違えたのか、とかいろいろ考えつつも、別に俺一人でもいいし、的な表現も繰り返され、しかしどこかで「ごめん、ごめん」とフィッツジェラルドが乗り込んでくるんじゃないかと夢想もしたり、とにかく、そんな感じで彼を待ち続けつつ移動する描写が続きます。

結局会うことはできるのですが、このくだりを読んでいる最中に、津村さんの『やりなおし世界文学』の中で、数少ない日本文学紹介の中で、ふと太宰治『津軽』があったことを急に思い出しました。

 

著者
太宰 治
出版日

あの作品も、太宰がかつての女中・たけに会いたくて津軽の田舎・小泊というところまで会いに行くけど、なかなか会えない描写があったな、という記憶がありました。

自分の部屋のどこかに文庫が埋もれているはずだけど、どこに埋もれているか分からないので、太宰の『津軽』だけを求めてまた書店に行きました。

長年を経ての再読で、最後の2ページは当時と同じように一筋の涙を流してしまいましたが、この時、太宰とヘミングウェイの自意識は何だかすごく似ているなと感じました

まあ一言で言えばプライドが高い、ということになるのでしょうが、会えなくても別にいいや、的な感じがくどくどと続き、その実会いたくてしかたない、つまりは、素直じゃない、のです。意味がちょっと違うかもしれませんが、マウントを取られたくない意識、みたいなのを捨てることができないということかもしれません。

結局全部、マウントの話になってしまいました。

 

『移動祝祭日』は、その後、妻・ゼルダから下半身のモノの小ささを批判されたフィッツジェラルドが、悩んでそれをヘミングウェイに話し、そんなことないよきっと、と確認するため2人でルーブルに彫像を見に行く、というような阿呆らしい話にもなっていくのですが、何だかこうなってくると読書そのものが楽しくなっていきます

『やりなおし世界文学』の中で、津村さんは、『813』『続813』ルパン傑作集と言うのを上げていて、その中で、ルパンについては誰かリアルなモデルがいたほうが楽しいということに気づき、それを何と俳優・船越英一郎に設定します。津村さん、かつての船越主演2時間ドラマをかなり見ているようで、一応うちの会社の俳優で僕自身も仕事したこともある人なので、何だか嬉しくなって、若い女性のマネージャ―にそんな知り合いでもないのに、社内メールでこの情報をさも嬉しそうに送ってしまいました。彼女から丁寧な返信は来ましたが、自分のこの行動もマウント取り的な何らかのハラスメントに当たるものではなかったかとふと思い始め、今すごく後悔しています。

 


info:ホンシェルジュTwitter

comment:#ダメ業界人の戯れ言

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